愛車との別れに思う。私たちの身体も車のようなものかもしれないと。

運転 車 暮らしノート

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愛車との別れ

先日、車を買い替えました。


長年乗った愛車は下取りに出すことに。
通勤・買い物・レジャーなど、ほぼ毎日乗っていた車です。
これまで何度か車を買い替えてきましたが、やはり別れは寂しいもの。
名残惜しい気持ちでいっぱいでした。

納車前日にはすみずみまで掃除・洗車し、写真もたくさん撮りました。

そして迎えた納車当日、その古い車でディーラーへ向かいました。

運転 車

下取り後、この車はどうなるのか。
中古として売られるか、部品取りに使われるのか…。
いずれにしても、もうこの車を運転することはできません。
10年以上、無事故無違反でのおつきあいでした。
車のボディに手を当てて、「今までありがとう、さよなら」と心の中で語りかけます。
思わず泣きそうになるのをぐっとこらえて、ディーラーの営業さんに車のキーを託しました。

車は身体、ドライバーは魂?

ふと、「自分がこの世を去る時も、こんな気持ちなのかなぁ」と思いました。

私は「あの世」の存在を信じています。
現世の体はいわば、車のようなもの。そしてドライバーに相当するのが「魂」。
古びてあちこち不具合が出てきた身体は、いつか限界を迎えますが、魂はその身体から降りるだけ。滅びはせず、「あの世」と呼ばれる世界に帰るのでは、と。

だとすれば、現世の身体とおさらばするとき、やっぱり愛車との別れのように感じるのかもしれません。

(↓こちらの記事でもくわしく書いています)


新しい「クルマ」の存在が寂しさを癒やす

別れの寂しさに気持ちが沈んだものの、振り向くと、ディーラーの駐車スペース奥に私の新しい車が待っていました。

新しい車、乗り心地はどうだろうか。
今度はこの車で、どこへ行こうか。
そう思ったら、別れの寂しさ・悲しみが薄まる感じがしました。

人生も、そんなものかもしれません。
現世の終わりは、来世に向けてのスタートだと信じられれば、死への恐怖も減らせるでしょう。宗教や民間信仰には、そういう意義・効果もあるのだろうなぁと思います。

光

こんなことを思うのも、年をとったせいでしょうか?50代を過ぎてから、人生の行く末を考えることが多くなった気がします。

親族や、時には同世代の友人の訃報にも接することが多くなり、いやが上にも人生について考えさせられますから。

「自分には、あとどれくらい時間があるのだろうか」と、ふと思ってしまうのです。

どのくらい…なんて答えは、出るわけでもないけれど。

今できることを、楽しんで、味わって、時にはもがいて、生きていくしかないですね。

若い頃は車を買い替えても、ただ「寂しい」というだけで、こんなことまで考えなかったなぁ…。

真新しい車を受け取り、説明を受け、エンジンをかけました。
今までの車に感謝しつつ、これから、新たな車との毎日を楽しむつもりです。
何よりも、安全運転を心がけながら…。