親族の葬儀へ
先日、イトコが亡くなりました。
葬祭場で通夜・告別式が行われると知らせがきましたが、その日にはどうしても外せない用事が……そこで通夜前日、故人のご自宅を訪問させてもらいました。葬儀日程の都合で1日だけ自宅に戻ったため、仮通夜をするとのことでした。
イトコの自宅は地方の一軒家。昔ながらの引き戸玄関の、古い家です。ご遺体は一階の奥の和室に安置されていました。

白い布をはずして対面した故人は、安らかなお顔でした。
入退院を繰り返していたという故人。「やっぱりおうちが一番ですね。ゆっくりお休みください」と、心の中で話しかけました。
自宅での葬儀はめっきり減った
思えば、ここ最近「自宅での通夜」に伺う機会はほとんどありませんでした。もうずいぶん前から、葬儀は葬祭場で、というのが一般的になりましたから。
私の両親も、亡くなった病院からそのまま葬祭場に搬送されました。(途中、自宅前を通ってもらうことだけ、お願いしました……)
昔とは住宅事情も変わり、集合住宅などでは、家に棺を運び入れることができないケースもあるそうです。入口がせまいとか、エレベーターに乗せられないとか……。(壁の一部が開くようになっていて、棺も入れられる場合もあるようですが)
中には、玄関が狭く窓から出入りしたとか、棺を立ててエレベーターに乗せるとか、ご遺体をおぶって階段で運んだ(!)とかいう話も、耳にしたことがあります。そうした状況が予想されるなら、最初から葬祭場へ……というのも、当然の流れでしょう。
さらに、最近は直葬といって、お葬式をせずに火葬炉の前で簡単なお別れだけをするやり方もあるそうです。こうなると、病院から火葬場へ直行です。コロナ禍でやむなく、という場合もあったでしょうし、その後も「お金をかけずに済ませたい」というニーズから、こうした選択が増えつつあると聞きました。そう考えると、自宅に戻れるというのは恵まれたケースなのかもしれません。
もし自分だったらと考える
亡くなったイトコはまだ60代。私とさほど変わらない年齢での旅立ちでした。そのため、もし私や夫も、急に亡くなるようなことがあったら……と、考えずにはいられませんでした。
もし亡くなって自宅に運ばれてくるとしたら、私はどこに寝かされるだろう。
うちは小上がり和室があるから、きっとそこだな……とか。
北枕にするには、頭はこちらに向けて、枕飾りはこの辺に置くんだろうな……とか。
自分が人生の終わりをどこでどう迎えるかはわからないけれど、最後の最後に「家に帰りたい……」と言い残すかもしれない。あるいは家族が「葬祭場に直行でなく、ちょっとだけでも家に帰らせたい」と思うかもしれない。そんな時に、この小上がり和室がその願いをかなえるかも……。そう考えたら、思わずしみじみと小上がりを眺めてしまいました。
家を建てる時、どうしても畳スペースが欲しかった私。その理由は、和室ってフレキシブルな使い方ができるから、でした。それが「人生のしめくくりの場所としても役に立つのでは……」というのは、新たな気づきでした。

「家」は人生をまるごと包み込む存在
今や、亡くなる場所は病院がほとんど、そして葬儀は葬祭場……という時流のなかで、家への棺の出入りや安置場所などについて考える人は、あまりいないでしょう。とくに、家づくりを考える世代は若くて元気な世代がほとんど。人生の最終盤のことまで考える人は、そういないはず。
でも、人は必ず亡くなります。そこまでイメージしてみるって、家づくりにも大切なことだと感じました。だって、死まで含めて、人生だと思うから。そして家は、人生をまるごと包み込んでくれる、そんな存在だろうから。
ああ、やっぱり私も、最後は家に帰りたいって思うんだろうなぁ……。
イトコが安置されていた部屋には、長年愛用していた家具や、なつかしい雑貨がたくさん置かれていました。そうした場所に戻ってこられて、故人の魂も安堵したのでは……と思いました。
住み慣れた世界に別れを告げ、旅立っていったイトコの冥福を祈って。合掌。