精神科医・高橋和巳氏の文庫本
先日図書館でたまたま手に取った、精神科医・高橋和巳先生の著書。とても良い本だったので、読書記録として残しておきたいと思い、レビューを書くことにしました。
読み終えた時に、背中にそっと暖かい手を添えてもらったような、そんな気持ちになった本です。
こころが運命を変えていくメカニズム
長年、心の病や悩みに向き合って、カウンセリングをしてこられた高橋先生。そんな経験を通して出会った「人が変わる不思議」について、この本ではいくつもの事例が示されています。
ほんの数個の言葉をきっかけに、人生を大きく変えた女性。癌の自然退縮という現象。暗示やプラセボが引き出す効果…。
迷信、奇跡、あるいは偶然、気のせい…などと言われるような現象と「心」の関わりが、私のような素人にもわかるように述べられており、目から鱗が落ちるとはこのことか…という気持ちで読みました。
「人生は、気の持ちよう」…ものすごくざっくりと言ってしまえば、それだけのことかもしれません。
しかし、心の小さな動きが行動につながり、その行動がまた別な行動へと波及して、何かを確実に変えていく。その仕組みの不思議さに引き込まれました。
運命VS意志…自分の中にある自由
読んでいて、私がぐっと心をつかまれた部分があります。本書の終わり近く、エピローグの部分です。
「私はもっとお金持ちの家に生まれたかったと思っているのに」「私はもっと美しい人に生まれたかったのに……」と考えるとき、自分の意志とはかけ離れたところで決められた人生に運命を見いださないであろうか。自分が知らないうちに決められてしまったもの、それは運命である。
『人は変われる』 ちくま文庫 高橋和巳著 246pより引用
しかし、運命という人生の必然性ばかり考えてきてしまうと、私たちの人生には自分の意志や選択の余地というものがなくなってしまう。
人生には、それを自分で選択できる自由は残されていないのであろうか。自分を変える自由はないのであろうか。
ここを読んで、「あ、そうか」と思いました。
(いま、私のいる場所…それは、決められた運命もあったかもしれない。けれどそれ以上に、自分自身が選び、歩いてきた結果なんだ)
そのことが、ストンと腑に落ちたんです。
人間の魂と身体は、ドライバーと車のようなもの
よく、「人間の魂と身体は、ドライバーと車のようなもの」と例えますよね。
家柄が良くてお金があって、見た目も素敵、そんな恵まれた人って、車にたとえたらフェラーリ?
逆に、お金もなく見た目もぱっとしない、おまけに年ともにあちこちガタが来ている人なら、古いおんぼろ車…みたいな。(うーん、まさに今の私…)
だけど、おんぼろ車だって、手入れをちゃんとして、燃料さえあれば、どこかへドライブすることはできます。
まだ見ぬ素晴らしい景色を見ることだって、誰かと交流することだって。
おんぼろ車で、恥ずかしい。
運転が下手くそで、事故に遭いそうで怖い。
だから出かけないという選択も、あるでしょう。
だけど走れる車があるのなら…もしそれでどこかに行ったら、何かに出会えるかもしれない。
行くか行かないかは、ドライバー次第。
どこに向かうか決めるのも、ドライバー次第。
そう考えたら、「ああ、いろいろ愚痴っているだけではもったいない!
せっかくここにある車(私の身体・私の現状)を使ってやらないと!
“いまここにある自分自身”を、最大限に生かしてやらないと!」…って、思えたのです。
どうしてワタシにはこんなおんぼろな車しかないの!って、嘆いていても、腹が立つだけ。
“おんぼろな車”でもあるだけ感謝、と思えるか。それって大事なことだなって。
“絶望できる能力”とは
この本の中で、「絶望できる能力」という言葉が出てきます。
絶望というと悲観的な響きがありますが、言葉を変えれば「客観的な事実を認める。今ある状況をしっかりと受け止める」ということではないでしょうか。
動かせない「運命」という客観的な事実にぶち当たり、絶望し、あきらめたとき、人はそこで初めて「自分の意識のほうを変える」ことにたどりつくのかもしれません。人生に対する「新たな解釈」を見つける。それが、「人が変わる」ということではないのかなと、思うんです。
人は変われる
『人は変われる』というタイトル…私にはこれが、悩める人への最大限の励ましのエールに聞こえます。
家族や周囲の人との関わりで悩みを抱えている人。
がんばっているのに、思うようにいかないと落ち込んでいる人。
ダメな自分を責めて苦しんでいる人。
そういう人たちに、この本が何かの気づきを与えてくれますように。そんな気持ちでご紹介してみました。
…長文になりました。読んでくださってありがとうございました。