喪中はがきが届いたら、喪中見舞い?
最近、「喪中見舞い」という言葉を聞くようになりました。ここ十年くらい、でしょうか?
喪中見舞いとは、「喪中ハガキが届いたら、年内のうちにお悔やみの手紙や品物(お線香など)を贈る」というものです。
でも昔からの伝統というわけではなく、新たに広まった習慣だと思います。確か、お線香メーカーのCMがきっかけではなかったか、と私は記憶しています。
そもそも喪中ハガキは、「今年身内に不幸があったので、年賀状のやりとりを遠慮させてください」…という挨拶状です。
そのため従来は、喪中ハガキを受け取った場合は年賀状を出さず、年が明けてから寒中見舞いを出す、というのが一般的でした。喪中見舞いという言葉も、あまり耳にしたことはなかったです。
しかし、今ではギフトショップで「喪中見舞い用」をうたった商品を見かけるくらい、広く知られるようになってきました。
喪中ハガキで知人の訃報を初めて知ると、「お悔やみを言いたい、でも葬儀から時間もたっているし、どうしよう…」という気持ちになるものです。「喪中見舞い」という習慣は、そこにうまくフィットして広まったのかもしれません。
お線香を使わない家もある
我が家でも父母が亡くなったとき、お悔やみの手紙とともに、喪中見舞いのお線香が届いたことがありました。その気遣いはとてもありがたく、うれしかったです。
ただ、両親は仏教徒ではなく、家には仏壇もありません。せっかくいただいた高級なお線香も、使う機会がなかったんです。
私自身も、アレルギー体質のせいか、室内でお線香の煙を吸うと喉がイガイガするし…。
結局その後、親戚のお墓参りにそのお線香を持参して、やっと使うことができました。
残りのお線香も、親戚に事情を話して、使ってもらうことにしました。
今は葬儀や弔いの形も多様化して、仏壇のないお宅、お線香を使わないお宅も増えているようです。
お線香は火を使うので、火事を防ぐという意味でも、使用を控えめにしているという声も聞きます。
「喪中見舞い」という優しい気持ちは、素敵なものだと思います。でも、お線香を送るのは相手によりけりかな…と、自分の経験から思いました。
喪中見舞いに大切な「気持ち」
私の場合、両親の喪中のとき一番うれしかったのは、なんといっても“気持ちのこもったメッセージ”でした。
「大変だったね、大丈夫?」という友人からのメール、そして両親の友人・知人からの手紙などが、本当にありがたかったです。
電話をいただいたこともありましたが、タイミングによってはゆっくり話せないこともあります。手紙ならそうした心配はありません。
故人との思い出を書いてくださった手紙は、何度も読み返し、お礼状を書きました。書きながら、癒やされたような気持ちになったのを覚えています。
喪中見舞いでも、寒中見舞いでも、「あなたを思っていますよ」という気持ちが伝わることが、何より大切なのでは…と思います。
喪中見舞いはお線香でなくてもいい
とはいえ、手紙だけでは気がすまない…と思う場合もあるはず。かつて大変お世話になった方が亡くなったとか、遺族と親しい関係にある場合など、です。
遅ればせでもお香典を!とか、せめて喪中見舞いの品を…ということもあるでしょう。
しかしお香典や高額なお供えをいただいてしまうと、遺族にしてみればやはり「お返しをしないと…」という気持ちになるもの。葬儀が終わった後では、あらためて品選びや発送の手間をかけることになります。
負担に感じない程度の品を選ぶとか、「お返しは気になさらずに」と一筆添えるなど、配慮が必要かもしれません。
手紙や、あるいは従来通りの寒中見舞いハガキだけであっても、思いやりが感じられて、遺族にとっては十分うれしいものです。
喪中見舞いはお線香…と決めつけず、少し幅広くとらえてもいいのではないかな…と私は思います。
贈る相手の気持ちに寄り添った方法を選べるといいですね。